縄文人と虫歯

 

 

縄文人の虫歯

この夏の、名古屋市科学館「古代DNA展」のメインの展示は、縄文時代の頭蓋骨から復元した頭の立体像だった。私たちの先祖はどんな顔をしていたのだろうか。

沖縄から発掘された骨からは南方系の顔立ちの人物が復元されている。今でもフィリピンなどに多い顔である。

女性の顔は「間 寛平」そっくりである。日々の暮らしそのままに、グッと口を結んだ厳しい顔をしている。

顔の復元も興味深かったが、解説によれば頭蓋骨の多くが虫歯や歯槽膿漏で歯を失っているというのだ。

縄文時代には甘いものがないので虫歯にはならないと思っていたが虫歯だらけだったらしい。

一旦、虫歯になれば手の施しようがない。虫歯はどんどん悪化し、やがて上下の顎の骨までやられる。せいぜいその場しのぎで薬草を噛むか、祈祷してもらうしかない。

地獄の痛みのうちに死を迎えたに違いない。この頃に生まれなくてつくづくよかった。

もっとも歯磨きが習慣化されるのはせいぜい100年前くらいである。それまでは歯の健康を考えたり、歯を習慣的に磨くことはなかったようだ。縄文時代とそう変わっていないのだ。

私の子どもの頃、70年前頃の歯磨きは今からすれば酷いものだ。他の家のことは知らないので我が家のことである。

我が家の歯磨き

まず朝起きると歯を磨く。瓶に入ったねずみ色の金属洗いのざらざらしたクレンザーようなものを、先が丸くなった歯ブラシで撫でて、それで磨く。

そして朝ご飯である。次に磨くのは翌朝である。つまり食事の後に歯を磨かないのだ。歯磨きは朝の眠気ざましのようなものである。家族全員、そういう習慣である。

歯磨きとはそういうものだと思っていた。父親も母親も入れ歯である。明治5年生まれの婆さんもとうぜん入れ歯。

小さい頃、婆さんがカポッと入れ歯を取り出すのは気味が悪かった。歳をとればみんな入れ歯になるのだ。

小さな菓子屋を商っていて子どもが5人。親はぎりぎりの生活で子どもの歯の健康や予防などに目を配る余裕はない。

小学校だって1クラス55名のギシギシで、歯磨き教育など一切ない時代である。

菓子屋なので幸いにも店には菓子がある。寝る前に店から甘納豆を盗って、フトンの中で食べる。ああ、幸せだ。そのまま寝る。これで虫歯にならないわけがない。

小学生の頃は虫歯だらけである。虫歯で痛くなると、つまり、神経をさわるようになって初めて歯医者に行く。その頃には歯は酷い状態になっている。

そんなものだと思っていた。それほどに歯の健康、予防などの情報がなく、啓蒙もなかった時代である。その点では縄文時代と大差ない。

今は歯の重要性が知られ、ケア用品もたくさんある。治療より予防である。

歯には十分、気を配っている。お陰で入れ歯でもなく、部分入れ歯もない。残念ながら小学生のとき抜いた1本が欠損である。

私が今、小学生で、今の情報があれば虫歯にならないだろう。子どもたちには今に生まれた幸せを知ってほしいものだが、それがわかるのは大人になってからなんだ。そのとき、虫歯だらけでないことを。