仁淀川漁師秘伝

 

『仁淀川漁師秘伝』(山と渓谷社 890円+税)を読んだ。

四国の清流、高知県仁淀川の職漁師だった宮崎弥太郎さん(2007年没)が仁淀川の漁の秘伝をすべて語ったものである。

聞き書きの「かくま つとむさん」とは、かくまさんが関西の釣り雑誌に勤めていた頃から最近まで、何度かテンカラのことで取材を受けた。

誠実な人柄と緻密な仕事ぶりにより、この本は日本の最後の川漁師の仕事を後世に残すものとなった。

弥太郎さんの、言い回しが独特で表記が難しい土佐弁の語りを、方言考証の人の助けを借りてわかりやすく書いているので、弥太郎さんが目の前で話しているようである。

主な漁だったウナギ、アユ、モズクガニの生態といろいろな獲り方の他に、テナガエビ、ナマズ、ゴリ、その他、川の魚ならなんでも詳しい。

魚を米のめしに換えることができる人と、晩のおかずにするだけの人とはこうも違うのかと思う。川の魚で遊ぶなら知っておいていいこと満載である。

この本を読んで60年以上前の子どもの頃、故郷の興津川の遊びを思い出した。アユ、ウナギ、ズガニ獲りである。

アユは水中メガネで潜りながら、竹の先につけたアユ掛けの三本イカリでアユを引っかける「カジリ」である。これはなぜか禁止になった。

そこで箱メガネを口にくわえ、木しょう(ふとい材木の枠に石を積めたもの)を出入りするアユを突くものである。何せアユが一杯いるので、こんな遊びでも結構突けて夜のおかずになった。

ウナギはハリをつけたタコ糸を竹の先に刺し、穴に突っ込んでから竹を抜く方法である。餌はアユの切り身。

ウナギがいればズン、ズンと持っていくので頃合いをみて引っ張る。引き出したウナギがタコ糸にからむと大変でダンゴになるわ、ヌルヌルになるわで往生した。

ズガニはモリで突くだけある。ズカニのいる穴は横に広いので予想がつく。穴にブスッと射して引き出す。それを川原で焚いた火の中に入れて甲羅のところをガシガシして捨てるだけ。

上海ガニの親類だったと知ったのは最近だった。もっと味わって食べればよかった。

ズガニは海と行き来しているのをこの本で初めて知った。弥太郎さんによると100kmを「ゴッチン、ゴッチン」横歩きするのではないかと(驚)

ウナギ漁と言えば興津川にも川漁師がいて我が家はそこからウナギを買っていた。小学校の同級生にY君がいて、そこの父親が漁師だった。

Y君の頭は後頭部が真っ平らな絶壁アタマだった。ずっと上向きに寝かされると頭が絶壁になるから、と聞いたことがあるが、Y君の頭がそれによったかはわからない。

うちはウナギだけ買っていたので、ときどきY君のお父さんがウナギを売りに来る。身は高いのでオフクロはたまにしか買ってくれなかったが、串に刺したキモと、ウナギの骨だけはいつもだった。

子ども心にもウナギのキモはうまいと思ったし、骨は骨せんべいでパリパリして好きだった。

オフクロは兄弟の中で私にだけ食べさせた。考えてみれば天然ウナギのキモや骨をあたりまえに食べるなんて、今ではあり得ないことである。

ヤギの乳を売りに来るオバサンがいてそれも買っていた。ヤギの乳は青い草の匂いがきついが私は好きだった。これも私だけ。

アルプスの少女はハイジである。ヤギの乳で育ったのかも。私はハイジになれず、イボジとキレジになった。

栄養があるからと私にだけくれた理由はわからない。おかげで兄弟の中で一番、大きくなったのもそのお陰と思っている。

オフクロはもういない。亡くなる前になぜ俺だけにと聞いたことがある。そしたらお前はね、父親が違うからと言った。

亡くなる前にオフクロが兄弟の秘密を話してくれたのだ。しかし、このことは兄弟には言わなかった。嘘だと思うだろうし、実際に嘘だから。