野菜づくり(その2)

 

一日ごとに緑が濃くなり、花は桜からツツジへ、薄紫の藤の花が初夏の風でふらり、ふらり。テンカラは藤の花の咲く頃から・・変らず外出自粛の日が続く。 あぁ。

 

野菜づくりはシンドイけれど楽しい。野菜は裏切らないからだ。流した汗の分だけいい野菜ができる。野菜に声をかけるといい、と言われたことがある。

おはよう。こんにちはの声かけではない。「どう? 元気? いい子でいた?」なんて声をかけている人がいたら、オカシイ人である。

水は足りているか、病気は出ていないか、虫はついていないか、など細かく目配りすることで野菜は育つ 。ちょっとした目配り、気配り、手間をかけるだけでいい野菜ができる。子供を育てるのと同じだ。

25坪も畑があると、あれもこれも作りたくなる。私の経験から誰でもできるのはサツマイモ、ジャガイモ、タマネギ、夏野菜などである。肥料と土のかけ方に気を配れば簡単である。

ジャガイモはイモが土から出ると風邪をひくので、土の布団をかけるやる。とくに秋ジャガ(秋植え)は冬を越すのでイモが出てしまうと凍傷になる。

タマネギも簡単である。タマネギは日持ちするし、料理の使い道が多いので重宝する野菜である。調子に乗って白タマネギ250玉、紫タマネギ100玉作ったことがある。

5月が収穫のときで、タマネギの茎が折れたのが収穫のサインである。

この時期はどこの畑でも一斉にタマネギができるので、地元の農作物販売所ではネット入り5Kgで800円程度である。こんなに沢山作っても、この程度なのか。農家の苦労がわかる。

サツマイモは強い

サツマイモが作れないなら野菜づくりに向いていない。サツマイモは子どものイモ掘り体験の作物になる。簡単につくれ、しかも強い野菜だからだ。

サツマイモは肥料をやり過ぎるとラグビーボールサイズが出来てしまう。焼き芋サイズにはむしろ肥料は少ない方がいい。肥料の点でも手間がかからない。

サツマイモは強い。葉のついたサツマイモの茎を切って、土に差し、水をややるだけでつく。根がなくても水があればそこから根をはやし生きていける。

このため江戸時代、稲や麦などの作物が不作の時の救済作物として広まっている。ところがこんなに強いサツマイモだがまったく収穫できなかった年が あった。

今から30年以上前、昭和の末ごろの夏。この夏はまったく雨がなかった夏で、当時の釣り場だった岐阜県尾神郷の本流がバスクリン川になった年である。

あの清冽な尾神郷に青藻が大繁殖し、バスクリン状態。後にも先にも、この年だけである。

サツマイモがまったくできない。すべて雨水なので畑はカラカラである。わずかにゴボウのようなサツマイモが数本とれただけである。

そうか、江戸の昔なら、サツマイモができないような日照りに打つ手はなく、飢饉になったのだろう。現代でよかったとづくづく思った年である。

夏野菜も簡単

ちょうど今頃が夏野菜の植え時である。トマト、キュゥリ、ナス、ピーマン、シシトウが代表的である。

トマトは難しい。雨水が頼りなので水の管理ができないからだ。渇水のとき雨が降ると急激に水を吸うためにブチッと実割れができてしまい、そこから病気が出たり、腐り出すからだ。

プチトマトの方がいい。プチトマトは実割れしないし、初収穫のトマトはピンポン玉くらいのが秋田の竿灯にようにできる。粒は小さくなるが秋口まで収穫できるのもいい。

キュウリも簡単だがツルが巻くのでネットを作ってやらなければならない。初とりの頃のキュウリはまっすぐだが、次第に丸くなる。

市場ではまっすぐなキュウリしか商品にならないようで、曲がったキュウリはキュウリのQちゃんになる(らしい)

味は変らないので、曲がったキュウリで十分だが、キュウリはまっすぐなものと思っている消費者の商品にならないのはもったいない話である。キュウリは曲がるものである。

ナスもいくらでもできる野菜である。秋口に枝を刈り取ってやればそこからまた枝を出し、秋ナスができる。ナスの花は綺麗である。

総じて、花壇の花より野菜の花の方が質素で、淡く控えめである。花壇の花の代表をバラとすれば、バラは「私、綺麗でしょ。見て、見て」とアピ−ルしているように思える。

香りも強い。ベルサイユの薔薇が影響しているのか、西洋の花の濃厚な香水のイメージである。

野菜の花は「私を見て、私綺麗でしょ」とアピールしない。ナスの花は言うに及ばす、大根の花、菜の花、極めつけはオクラの花である。

こんなにも綺麗な花が、畑作りの人に見てもらうだけで、ひっそり咲いて、そのあとには実を残す。野菜の花のそんなところが好きだ。

つづく