野菜づくり(その1)

 

外出自粛の日々。

暇人である。沖縄では暇人をひまんちゅと呼ぶに違いないと「ひまんちゅ石垣」と改名したが、改名したところで暇が解消されるわけでもなく、暇つぶしに野菜づくりを始めた。

ナス、ピーマン、シシトウそれぞれ1本の鉢植えづくりである。これではとても野菜づくりとは言えないが、愛情をかけるところが増えたのは生き甲斐と言えば大げさだが、うれしい。ついでに鉢植えの花もいくつか育てることにした。

たった3本であるが、以前、野菜づくりの長い経験があるので収穫につなげることができる。

 

 

野菜づくり25年

33歳〜58歳までの25年間、野菜を作った。当初、借りたところは15m×5mの25坪である。菜園どころではなく、畑である。

あまりの広さを耕すシンドサに、5年ほどでして中古の耕運機で耕すようになり、鍬との違いを実感する。

25年の間に畑に家が建つなどして畑は小さくなり、最後は8坪の畑となった。腰痛が悪化し、鍬をふるい一畝(うね)も作ることができなくなったのを機会に私の野菜づくりは終わった。

25坪の土地は大家さんが手入れできず、荒れ地にするより使ってくれたらと盆暮れのビール1ケースで借りた土地である。

荒れ地なので、石拾いから始めた。畝(うね)の作り方も、肥料のやり方もまったく知らない素人だったが、そこそこの土になり、収穫できるようになるまで3年かかった。

動機は3人の子供たちを野菜好きにすることである。「わぁ、お父さんに作った野菜」の声を聞きたいためである。

お陰で皆、野菜大好きになったが、子供が独立して一人、また一人と家を出たころ、おりよく畑も小さくなり、やがて家内と食べるだけの野菜づくりとなった。

正直、野菜づくりはそこにかける労力と時間のコスパに見合うものではなく、買った方が安くつくが、新鮮な、今、穫ったものを食べることができるのはこの上なく贅沢である。

野菜が育つのは子供が育つのを見るようで楽しい反面、シンドイことの方が多い。農家の方の苦労は並大抵ではないとわかったのは自身が野菜を作り出してからである。

雑草に負ける

野菜づくりは雑草との勝負である。畑が肥えるにつれ雑草も繁殖し、肥えてくる。大学教員として平日は朝から夜まで休む間もなく働いて、畑仕事ができる時間はそれほどない。

休みにはテンカラに行きたいし、3人の子供との遊びや学校行事もある。そのわずかな合間を縫っての畑仕事である。何よりシンドク、面倒なのが雑草とりである。

芽かきは必須である。雑草がまだ小さいうちに、手でとるか、芽かきという農具で、土とともに根を切る作業である。

あぁ、芽が出てる。芽かきしなければとわかっていても、畑に一斉に芽を出している雑草を短時間でとるのはシンドイ。

まぁ、来週の休みにしようと、見なかったことにしてしまう。ところが一週間たてば、さらに大きくなる。さらにシンドイなぁと思う。わかっているけど、来週にしよう。

次の週は一面、緑の雑草だらけである。ここまで来たら、とらなければと、やっととりはじめる。しかし雑草は深く、広く根をはり、これを抜き、集めるのは芽の出始めをとるより何倍も、いや何十倍も苦労する。

1mに高さにもなる雑草の山があちこちにできる。わかっている。芽が出たときに芽かきすればいい。わかっていても見なかったことにするツケが、この山である。

雑草に負けたら野菜づくりはできない。面倒くさがり、ずぼらな人は野菜づくりに向いていない。転んでも起き上がるときに雑草を抜くくらいこまめな人向きである。

野菜づくりからいろいろな教訓を学んだ。

その1 今できることは今やる。後回しにしない。

「今日できることは明日に延ばすな」ベンジャミン・フランクリンの言葉らしい。

畑をするようになって以来、「今日できることは明日に延ばすな。賢人は昨日済ませているのだ」は、私の頭をよぎるようになった言葉である。

私のゼミ室にゼミ訓として貼っておいたら、賢人を「けんと」と読んだ学生がいて、そうきたかと。以来、「けんじん」とふりがなをふった。

「今日できることは今日するな」

暇人になると明日することがなくなるから。

最近の教訓である。

 

つづく