天地人

 

梅雨末期の大雨が西日本、とくに九州に甚大な被害をもたらした。川にかかわる遊びをするものにとって被害の大きさに驚きつつ、天のなすことだけに、どうすることもできない歯がゆさがつきまとう。

東海地方でも岐阜県を中心に被害が出ている。今年の梅雨は長々と雨が続く。ときおり陽がさす例年と違い、すでに2週間以上青空を見ていない。まだ雨は続くようで梅雨明けは更に先になるようだ。

各地で被害が出ている状況で、釣りのことを書くのは心ひけるところがある。

 

天地真理

渓流釣り、とりわけテンカラはつくづく天地人だと思う。

天地(てんち)は天地無用。天地(あまち)は私たち世代には懐かしい天地真理(あまちまり)

ちょっと上を向いている鼻が可愛いかった。今から40年以上前の当時、テニス(硬式テニス)のブームで若い女性がラケットを抱えて歩くのが流行った。

天地真理も白いテニスウエアで、テニスラケットを抱えて歌う。そのラケットがソフトテニスのラケットだった。そうじゃないだろう。

ソフトテニスは以前は軟式テニスと言った。略して軟庭。なんてぃこった。このどうしょうもないギャグのためにここまで引っ張りました。

天は天候、地は川、人は釣り人である。この3つによって釣れるも釣れないもコントロールされている。

天>地>人であり、この順で人知の及ぶところではない。なんで雨ばかり続くのかと天を恨んでもどうなるものではない。

地である川は天の結果である増水や濁り、低水温などである。この影響も大きいが、渓流を選択するなどでなんとかなる。

人は先行者であり、同行者である。天地に比べて人の影響が小さいことは経験するところである。

 

突然バタバタ

どうすることができないのが天である。天候の急変が劇的に魚を活性し、沈黙させることを最近経験した。

そこはよく行く岐阜県の渓流で、渓流に沿った道から下車3分で竿が出せ、大きな岩や石もなく遡行が楽な高齢者むきの渓相である。川原がたっぷりあるので、キャスティングに気を使うこともない。

同行の4人はそれぞれ2人づつに別れ、集合時間を約束して釣り始めた。私はキジの逆さ毛バリ一本で通すOさんと一緒に、交互に上流に立ちながらの遡行である。

今にも泣き出しそうな曇りだが、午前中はもつだろうとレインウエアはなしである。

10cm以上はある渇水で、ペンキで書いたように白い平水線が岩を取り巻いている。しかも日曜でもあり、砂には前日の足あとがくっきり。これは苦戦するな。

予感は的中である。まったく活性がない。ときおり毛バリをつつくのは10cmあるかなしかのヤマメのサヤエンドウである。

ダメだね、とOさんにアイコンタクト。

雨がポツリ、ポツリ。合羽は着ていないが大したことはないだろう。やがて雨足は次第に強くなり、水面にはっきりと波紋を描くようになった。

シャツの肩あたりは肌にぴったりと張り付くようになったが、暑がりジェイソンの私には合羽はない方がむしろ快適である。

気がつくと10cmほど水位が上がっていて、流れのあるところの平水線は水の下になった。

それを合図にしていたかのようにヤマメが掛り出す。サイズは20cmを越えるくらいであるが、どこを打っても反応する。

教科書どおりに毛バリを追って反転する。水面に飛び出すのもいる。ガッチリ掛かる。おまえたち、今までどこにいたのか?

Oさんを見れば、ヤマメの入れ掛りである。普段はほとんど反応のない小さい底石の続く平瀬で入れ掛かっている。

普段は反応がないだけで魚はいる。なにかをきっかけにして活性するのだ。ハッチはないので、水生昆虫の流下に反応しているのではない。

2人の競演は20分ほど続いたが、これも突然のようにピタッとアタリが止まった。フト、気づくと平水線より10cmほど水かさが増している。

上流の山でかなり降ったのだろう。濁りの出にくい渓流だけに、増水に気がつかなかった。シャツはビッタリ濡れて背中を通してパンツまでしっとり濡れていた。

この体験は、いかに魚が天候にコントロールされているかを改めて知るものとなった。渇水から水かさが増えたことで魚が活性化し、冷たい雨で増水したため水温が下がり、アタリが止まったのだろう。おそらく天から地への微妙な水温の変化。

毛バリを換える、ビーズヘッド毛バリにするなどの人知が及ぶのはわずかである。だからこそ、天候、水況、水生昆虫の活性などの自然を見る目が必要になる。

逆に言えば、天候が・・は、釣れないときの言い訳に使える。「釣れないのは講師のせいではありません。天が悪いのです」講習会での私の言い訳その1である。

「テンカラは天からとも言うのです」

天が悪いなら仕方ないと参加者は納得するのである。天に唾する人はいない。