師匠とその弟子(2)

フライマンにテンカラを教える

 

 熟女にテンカラを教えてから一月ほど後、スマホの呼び出し音が。

「もしもし…」受話器の向こうに気配はあるが応答がない。うぬ!さては無言電話かと思ったころに

「あのぉ… テンカラ大王さんでしょうか」

メールは多いが電話してくる人は珍しい。よほど勇気がいったみたいで声が震えている。名前はKさんとのこと。

 

用件はテンカラ教えてほしいということである。Kさんはフライをはじめて3年目のフライマン。テンカラに入門した人からのメールはしばしばあるがフライマンからは初めてだった。去年の6月のことである。

 

フライと同じ毛バリということで私の本を何冊か読んだ。「テンカラ・ヒットビジョン」も見た。廣済堂の「科学する毛バリ釣り」は特に勉強になったとひとしきり言った後、フライとテンカラは同じ毛バリなのにどうしてこうも違うのか混乱してしまったというのである。

 

これからもフライをやろうと思っているがテンカラも経験してみたい。どこか参考になることがあるに違いないので、ぜひ教えてほしいというのである。

 

願ってもないこと。まだフライをはじめて3年なら「傷は浅いぞ、しっかりしろ」テンカラに進路を変えることも可能姉妹。おぉゴージャス。妹が好き。お姉さん怖い。竿や仕掛けは私が用意するからとさっそく次回の釣行を約束したことは言うまでもない。

 

約束の日の朝、長野県遠山川にドルドルドル…というデーゼル音を響かせてランクルがやって来た。Kさんかな?歳の頃は30半ばを廻った頃でやや小太り。

 

ワークマン、ユニクロ、シマムラ御用達の私には上から下までP社で揃えたKさんのファッションに少々引け目を感じてしまうが、ファッションで釣りするわけじゃないし。さっそく初対面の挨拶もそこそこに釣りに出かけることにした。

 

ベストはシンプルに

 

師匠Kさん。今日は私がテンカラの師匠。Kさんは弟子になるけど、いい」

弟子「支障ありません」

師匠「キビシイことを言うかもしれないけど…」

弟子「わかってます。弟子ですからデシデシ言って下さい」

Kさんはダシャレが通じる人のようだ。これならダジャレも含めて弟子の資格はありそうだ。弟子教えよう。

 

師匠「フライは長い歴史と研究をもとにした素晴らしい釣り。私はリスペクトしているけど、テンカラにはテンカラの歴史と研究があるので今日はテンカラを体験してフライの参考にするといいよ」

 

師匠はKさんのバストがDカップ。もといベストがむっちりと膨らんでいるのを見逃さない。セクハラ師匠は男の胸元にも目がいくのだ。

 

師匠「テンカラのベストはシンプルでなくっちゃ。 シンブル・イズ・ベスト、ベスト・イズ・シンプルなの。余分なものは持っていかない」

 

持ち物は毛バリケース1箱、ハリス、ハサミだけにさせた。防弾チョッキのようだったKさんのベストはダイエットに成功してすっかりスリムになったが、Kさんは不安そうである。

 

弟子「師匠、テンカラってたったこれだけで釣るんですか」

師匠「そうです。少ないほど迷いがないからね」

弟子「迷わないようにわざと少なくしているんですか」

師匠「そうじゃないの。必要ないからなの。弟子は理屈いったらあかんの。師匠の言うことを聞きなさい」

 

師匠はシマノ【渓流テンカラ】に3号フロロカーボンを4m、ハリス11mの仕掛けをつけて渡す。毛バリケースから取り出したバーコードステレス毛バリも渡す。

 

毛バリ交換は効果なし

 

 弟子「これは何の虫を模した毛バリ? アダルトですか。ピューパですか? イマージャー?」

師匠「イチイチうるさいね。私はアダルトビデオしか知らないの。イマージャーって今じゃのこと?何のことか知らないの」

弟子「師匠、今、トゲトビイロカゲロウがハッチしてますよ」

師匠「○×※〒▲☆・・? テンカラの毛バリは何か特定の虫を模したものではないんだね。あえていえば羽のある虫みたいなものだから、羽虫かな」

弟子「でも、フライではいろんなパターンの毛バリをつくってミッジとかアダルト、ピューパなどと使い分けてますが」

師匠「テンカラをやるなら毛バリに対する考え方がまったく違うことを知らないとね。毛バリで迷うことになって結局釣れないことになるね。ともかく毛バリをつけて振ってみて」

 

Kさんは渡されたバーコードステルスをつけてキャスティングをはじめた。フライを振っているだけにキャスティングは様になっているが、長いテンカラ竿、軽いレベルラインに戸惑っているようだ。二度、三度と空振り(フォルスキャスト)をしてから毛バリを落としている。師匠はたまらず口を挟んだ。

 

師匠「テンカラでは一投でキャストしないとダメ。Kさんのを見てるとアドレスしたゴルファーが打つかなと思えばまた止めるみたいなもので、何度も振るうちに魚に感づかれてしまうから」

弟子「なるほど。そうですよね。フライではフォルスキャストしながらラインの長さを調整したり、その間に毛バリを乾かしているけど、テンカラはラインの長さが一定だし、浮かす必要がないんだから警戒させない点でも一投でというのはわかりました」

師匠「それと竿を9時まで倒すからラインがベチャと着いているでしょ。これもダメ。テンカラの仕掛けは10時で止めると毛バリから落ちるようになっているんだ。ラインがベチャっと着くと警戒させるからね」

 

弟子は5分ぐらい同じ場所で何度も振っていた。師匠はいいかげんジリジリしてきた。上にはいいポイントがあるからそこを狙えばいいと思うが動く気配がない。そのうちフライボックスを開いて毛バリ交換をはじめた。

 

師匠「毛バリ交換してもムダだから上に行きましょう」

弟子「でも、毛バリを換えれば出るかもしれないでしょう」

師匠「出ないの。出ないのは便秘だからじゃなく、毛バリのせいじゃないんだ。毛バリを交換してもムダ。釣り上ってこの毛バリを食う魚を相手にした方がいいから」

弟子「でもフライでは頻繁に毛バリを交換するし、実際、毛バリを換えたら食ったということもあるから…」

師匠「そこが一番テンカラとフライの違うところなんだな。ちょっと長くなるけど…」

 

師匠はテンカラとフライの毛バリうんちくを語りはじめた。理屈っぽい師匠である。

 

師匠「渓流魚の視力は0.1以下。目のいい人にはわからないけどこれはひどいピンボケ。私の視力は裸眼で0.06だからアマゴやイワナの見え方がよくわかるんだ。ボォとしか見えていない。だから毛バリの細かいところにこだわる必要はない。なんとなく虫らしければいいんだ。色も関係ないと思うよ」

弟子「でも、フライでは魚は毛バリをセレクトしますよ」

師匠「そこなんだ。確かにフラットでゆっくりした流れのところでライズしている魚は毛バリをセレクトするよね。あれはゆっくり流れてくる餌は食い逃がすことはないから、それが餌かどうかセレクトする余裕があるからなんだ。そのときボンヤリした視力だけどサイズの違いは見分けられるから、今、食っている餌と同じ大きさだったらとりあえず食ってみるということをしていると思うよ 」 

弟子「なるほど・・」

師匠「それと、毛バリが自然に流れているかだろうね。魚は餌獲りが仕事だから、毛バリの動きがおかしければこれは餌じゃないとわかると思うんだ」

弟子「それでフライでは自然に流すためのいろいろなテクニックがあるわけですね」

 

毛バリ発祥の違い

 

師匠「そう。フライはヨーロッパのフラットなゆったりした流れにいるマスを釣るのが発祥で、その後、長い歴史と研究を重ねて発展してきた釣りだからね。そういう流れに棲む魚は毛バリをセレクトする。だから、いかに本物の虫らしく作るか、いかに本物の虫が流れるように毛バリを流すかということに工夫を重ねる必要があった んだ」

弟子「フムフム・・・」

師匠「そのため水棲昆虫の生態を研究して、それに合わせたアダルトとかピューパとか、またサイズも各種必要になるわけ。セレクトしてる魚が何を食っているか推理し、それにマッチした毛バリをセレクトして釣ったときに最高の面白さを見出す釣りなんだ。魚のセレクトには毛バリをセレクト。コーヒーにはクリープみたいなものかな。私はフライは最高の遊びだと思うね」

弟子「コーヒーにはクリープ。それって親父が言ってましたよ。CMの古典、化石。師匠の歳がわかります。でもテンカラでは毛バリにこだわらない。それはなぜですか?」

師匠「それはなぜか。それは同じ渓流魚でも棲息する流れで餌のとり方が違うんだ。フラットな流れではゆっくりセレクトしていても、瀬にいるときはパッと出てパッとくわえる。流れの速いところではいちいちセレクトしていたらアッという間に餌は流れてしまうからね。ともかく急いで食わなきゃならない。そこでは形がどうだとか、色や素材、アダルトだろうが関係ないんだ。それらしければいい」

弟子「そうか。テンカラはそういう流れにいる魚を相手にした釣りなんだ」

師匠「そう。Kさんは顔は悪いが頭はいいね。足は短いけど胴は長い。怒らないで。ホメたんだから。結局、テンカラというのは瀬が連続する日本の渓流で伝承されてきた釣り。昔からそういう魚の習性を見抜いていて、毛バリにはこだわらないわけ」

弟子「ということは得手不得手があることになりますね」

師匠「そのとおり。テンカラはフラットでゆったり流れるいわゆるプールと言われるようなところはお手上げだね。そういうところはフライの独壇場だ。20番サイズのフライをセレクトしている魚をテンカラ毛バリの10番ではマッチしてないし、ハリスだって1号ぐらいしか持っていないから、20番に無理やり結べばマッチの軸と頭みたいになってしまうからね。誘いをかければ食うこともあるけど、すぐ見破られてしまうしね」

弟子「でも、指をくわえてないでそこを何とかテンカラでと考える人もいるでしょう」

師匠「遊びだから20番くらいの毛バリと0.3号くらいの細いハリスを使ってライズを狙ったテンカラなんてのも可能だと思うよ。するかどうかは好みの問題だと思う。私は好きではないけどね」

弟子「逆に、フライは流れのあるテンカラのフィールドのようなところでは不利になるわけだ」

師匠「そういうことかな。竿が短くてラインが重いからどうしても流れにラインがとられてしまうからね。その点、テンカラはそのような流れでも毛バリだけ流れるように竿の長さとラインの長さのバランスがうまくとれているんだ」

 

バーコード毛バリのわけ

 

弟子「同じ毛バリ釣りだけど、どこに棲む魚を釣るかで、毛バリに対する考えも、タックルも違っているのがなぜかというのがわかりました」

師匠「だんだん、わかってきたようだね」

弟子「こだわりがないテンカラってのはアバウトですね。師匠をはじめとしてテンカラの人にはアバウトな人が多いような気がするけれど、アバウトな釣りだからでしょうかね。師匠のバーコード毛バリは本当にアバウト。あれじゃ魚に悪いな、申し訳ないと思いません?」

師匠「どんどんアバウトになっていくね。いいかげんというか。テキトーというか。テンカラをやっているとアバウトになるのか、アバウトな人柄の人がテンカラをやるのか。ニワトリとタマゴみたいなものかな。ともかく私の毛バリを信じて使ってみてちょう でぇ(急に名古屋弁になる)」

弟子「その前に師匠の毛バリ、何でバーコードなんですか」

師匠「あのねぇ。毛ぇちゅうもんは多ければいいわけじゃないんだ。毛ぇかきわけてくわえるなんてことになったら面倒だろうが。毛ぇが口の中に入って・・」

弟子「師匠、そっちの毛の話じゃないでしょう。師匠の毛ぇ、ていう言い方イヤラシイですよ。すぐそっちに持っていくんだから。だからセクハラ師匠と言われるんです」

師匠「いや申し訳ない。ついつい妄想が…。ハックルは毛ではなくて、羽根だよね。毛が少ない、薄いというと気になる人もいるからね。まぁ、パラリと巻いとけばそれで十分だし、空気抵抗がないから狙ったところに飛ぶからね。ごちゃごちゃ言わないで使ってみて」

 

Kさんはフライとの毛バリの違いにやっと納得したようで再び釣りはじめた。バーコー ド毛バリのせいか、キャスティングも的確になってきたようだ。何投目かに荒瀬の向こうのたるみに落ちた毛バリの下でクルッとしたキラメキが起きたがKさんは合わせなかった。

 

師匠「それ!今のがアタリだがや。何で合わせなんだの」

弟子「ギョエ、今のがアタリですか? ドライばかりやってるから水面でガバッと出るものと思っていたもんで。それに沈んでいて毛バリが見えないし」

師匠「ギョエじゃないの。あんたはサカナ君かね。それを言うなら魚影。テンカラではそういうアタリも多いよ」

弟子「でも、ドライは浮きますよ。浮いてないと面白くないし…」

師匠「鉄でできたものは沈むのはあたりまえでしょう。だからドライフライでは浮かすために浮きやすい素材や浮力剤を使うわけだね。テンカラの毛バリは浮かないんだ。水面直下から10cmぐらい沈んで流れるね。少し沈んでいる方が魚は出やすいし、くわえやすいから沈んでいる方がいいんだ」

弟子「でも、浮いていればガバッと水面に出るのが見えるから面白いじゃないですか」

師匠「でも、が多い人だね。デモもストもないの。理屈を言わない。弟子は言われたことをやってみるの」

 

格好いい、は格好ではない

 

弟子「じゃ、アタリはどうしてとるんですか?」

師匠「活性が高いときは水面にガバッと出るからわかるよね。あとは水中のキラメキとか、コツッとした手感とか、ハリスが止ったとか、なんとなく食ってるという気配かな」

弟子「じゃ、餌釣りと同じじゃないですか」

師匠「そうじゃない。黒か白かだけじゃなく、その間には灰色だってあるでしょう。ガバッと飛沫を上げて出るのが面白いのは私もそう思う。でもこれは食っている! ! と読んで掛けたのはもっと面白いんだ。奥が深い。灰色にも白っぽいものから黒に近いものまであるように、アタリだ!と合わせて、やはりアタリだったのはやったぜというテンカラの醍醐味だと私は思うね」

弟子「ちょっと偏屈だけど、師匠のいう好みの問題だからそういうことにしておきます」

 

Kさんは付き合っていられないという表情をしながら、次のポイントへ向かっていった。

 

師匠「珍しく、でも、と言わなかったね。ついでだけど警戒させないという点ではその靴何とかならんかね。登山靴みたいなの。歩くたびにガッツ、ゴッツと音を立てているよ」

弟子「これダメですかね。格好いいし、丈夫そうだし、足もしっかり保護されているからいいと思っているんですけど」

師匠「そこなんだね。底が問題だ。その靴はそこそこいいけど、底が硬すぎるね。底が硬いと足の裏の感触で地面を捉えられないし、第一、指先が曲がらないでしょう。岩をホールドできないから岩上りには適していないね。一番いいのは鮎タビのような底が柔らかいのが渓流を歩くには最適なんだ。その靴では石に当ってゴツゴツ歩くことになるから警戒させることになるね。格好よりまず機能優先がテンカラだね」

弟子「テンカラは格好より機能を優先するんだ。シンプル・イズ・ベスト。余分なものを持たないでシンプルに考え、シンプルに釣るスタイルってむしろ格好 よく思えて来ました」

師匠Kさん、テンカラウィルスに感染したようだね」

弟子「なんですか? そのテンカラウィルスっていうのは。何か恐い病気なんですか。新型コロナより怖いのですか」 (昨年6月にすでに新型コロナが? この話、おかしい)

師匠「いいの。そのうちわかるから。テンカラウイルスにはワクチンも特効薬もないから怖いんだ。でもね、罹った人は罹ってよかったと喜ぶ不思議な病気なんだな」

弟子「ふーん、私はもう感染したんですか・・」

 

Kさんは再びキャスティングをはじめた。竿を寝かすクセは次第に直ってきたがダメ押しで教え魔の師匠がまたまた口を挟んだ。

 

師匠「テンカラのメリットは長い竿と軽いライン。竿を高く掲げていればハリスと毛バリしか接水しないから、そうすれば流れなりに流すことも可能だし、ブレーキを掛けながら流すこともできるよ」

 

師匠はKさんの竿をとって手本を見せた。

 

師匠「ほら、流れよりもゆっくりラインが流れているのがわかるでしょう。食い筋を流れているよ。この流れ方ならまもなく出るよ。そら出た!」

 

Kさんにはいつ出たのかわからなかったが師匠の竿が満月に曲がっていることから、この間のどこかでアタリがあったのだろうと思った。ほどなくして姿を見せたのは尺に近い遠山川の幅広アマゴであった。Kさんは、いてもたってもいられない。

 

弟子「し、し、師匠、私にもやらせて下さい」

師匠「もう帰ろうか。紙数が尽きたし、もうKさんの出番はないから」

弟子「そんな…」

 

Kさんがその後、釣ったか誰も知らない。風の便りではテンカラウイルスに感染してテンカラに転んだとも、転んだのは靴のせいだとも・・・。 

                                                      おしまい