瞬切のニジマス

 

北海道の千歳からガイドの三輪さんのランクルに同乗している。車は支笏湖を抜け、洞爺湖の近くを走っている。お盆過ぎの北海道はすでに初秋の装いで、木々はうっすら黄色いベールを身にまとったようだ。

前日の札幌での第20回札幌スポーツ医科学セミナーでの招待講演を終え、すっきりした気分である。

三輪ガイドとは今回で5回目である。道東の茶路川などのアメマスが最初で、以降、道央から道南のガイドをお願いしている。

会って早々、今回、日高山脈の山中に入る予定が渇水とのことで急遽、道南に変更したとのこと。狙いは天然のデカニジマス。この時点でイヤな予感が。

というのは予定の川が狭く、魚は40cmどまりなので、本流テンカラNPは要らないと判断し、釣り道具を宅配した際、バックには今はなつかしい翆渓3.9mを入れたのだ。出れば60cmと聞いて、シマッタ。

三輪ガイドからも急な変更でタックルがマッチしなくて申し訳ないとのこと。しかたない、なんとかなるだろう。

セミが鳴いている。鳴け、鳴けとガイドが言う。セミが鳴くとニジマスが釣れるとのこと。

ジイジイと鳴く。ジイジイ・・ジイ そうだよ、俺は爺だよ。

昨日、札幌の孫と一緒にダースベーダーチャンバラで遊んできた爺だよ。孫から爺と言われれば嬉しいけれど、セミのお前に言われたくない。

ジイと鳴くのも今のうちだ。ジイ、ジイ・・ジ、ジ、ジ、ポトッと川に落ちればニジマスの餌になるのだ。

今回はデカニジマス1本勝負である。フライマンである三輪さん自身、今シーズン、プライべートでこの川に来ているが、6回のうち5回ヒットし、取り込めたのが3回とのこと。ハリスをブチ切られるという。

最大で60cm。リールのあるフライだから取れるけど・・。暗にテンカラだと厳しいかもと匂わせる。

まあなんとかなるだろう。行き当たりばったり。途中でバッタリ倒れるかも。

川は広い。河原幅は広いところで70mぐらい。そこを15m〜40mの流れが蛇行している。巨岩、大石ごろごろではないフラットな流れなので、遡行は楽だが、言い換えれば大物がいるポイントは限定される。

1日のうち、チャンスは1回から2回しかないとのことで、それはデカイのがいるポイントが少ないからだいうことが川を見てわかった。

途中、テンカラ毛バリを流すと30cmたらずのニジマスは飽きない程度に釣れるが、狙いはお前ではない。

遡行すること2時間で、ここで出たという本命ポイントに着いた。そこは左右の岩盤で複雑な強い流れに、流れに続く深い淵になっているところである。確かにここしかない。出ればデカイに違いない。

毛バリはセミ毛バリである。三輪さんが巻いたセミ毛バリは3cm程度、羽根も生えている。タワシを小さくして羽根をつけたようにも見える。

この時期、セミしか偏食していないのでセミ毛バリしか食わないとのこと。郷に入れば郷ひろみ。俺たち男の子、Go!Go!(絶滅危惧種のように古い)

ハリスを新品に交換した。1号である。今回、これがもっとも太いハリスだ。二人して右岸の岩盤に立つ。三輪さんが「あの流れで出た。出るはず」

そこは複雑な強い流れの脇の、水深1m程度で、しかも毛バリをくわえやすいほどよい流速の、いわゆるここしかないワンポイントである。

出れば一発だ。慎重にポジションをとり、セミ毛バリをポトッと流れに乗せる。

わずかに流れたその瞬間、下からヌワッと出た薄みどりの幅広の魚体が、体側のピンクをこちらに見せながらグラッと反転する。手の平のような尾びれが水面に出て、尾びれが沈むのを見て、ガシッと合わせる。

瞬間、三輪ガイドから50ナカ、60の声が飛ぶ。

デカイことは予想していたし百戦錬磨なのでドキッとすることもなく、冷静にニジマスの一部始終を見て合わせることができた。経験がないと、魚を見た瞬間に驚いて合わせてしまうか、合わせられないとはガイドの話である。

ガツンという衝撃の後、竿を立て魚の位置を確認し、竿を寝かせ、長期戦の態勢に入ったその瞬間、ガーンと激流に疾走した。ウンもスンもないとはこのことで、一瞬でプッツンである。音が聞こえたような衝撃である。ラインがヒラヒラと舞う。

竿を寝かして1秒もなかっただろう。こんな衝撃疾走は初めてだ。うーん、岩の上に腰をかけしばらく動けなかった。

「惜しかったね。60近かった。やっぱりハリス1号では持たないでしょう」

そのあとで「私はいつも1.75号を使います」と三輪ガイド。

「今度はこれを使ってください」と1.75号を渡す。なんで! 私が1号を使っていることは知っていたでしょうに、それではもたないとなんで先に言ってくれないの。

これでやってくださいと言われても1日で1回か2回のチャンス。今日はもう出ないことが私でもわかる。

本流テンカラにしてハリス2号であれば取れたかもしれないが、足場からして下流に走れる場所ではないので難しいだろう。リールがあっても確率5割なのだから。

非常にいい経験になった。狭い川だから、40cm程度のニジマスだからと言われて、本流テンカラを持たず、ハリスも1号しか準備しなかった私の甘さである。最善の準備をしなかった私のミスである。

この1発ですっかり気を落として、以降の釣りに気が入らず、私はセミの抜け殻のようになった。

セミが相変わらずジイジイ鳴く。ジイジイ・・・ジジイ そうさ俺は爺ジィだよ。 お前に言われたくない。