言い訳の犀川

 

松本出張の夜は松本近在のテンカラ仲間と忘年会。6時から始まって9時半まで。ノンアルビールを3本飲んで夜中にトイレに3回起き、明日は犀川と、子どもの遠足のようにうれしさのあまり夜中もよく眠れず、うつらうつらの朝6時半出発で一路、犀川へ。

今が紅葉の盛りで、風のない静かな犀川のダムに紅葉が写り込み、今日の釣りの前祝いにも思えた。このときは。

6人でさぎり荘の前に入る。すでにフライマンが一人。それぞれに別れて入る。私は昨年いい思いをした巻き返しから広いフラットなトロ場に立ちこむ。

広いだけに流れのスジがつかめないが、スジがつかめればヒットは間違いない。仕掛けは1.5号の一ヒロのハリスの下に3Bのオモリのダウンショット。オモリから上30cmぐらいに、黒川虫もどきを直結した仕掛けである。

入った頃が一番、気温が高かった。松本を出たときは晴れの予感だが、次第に雲が厚くなってきた。話が違うぞ。立ちこんでいることもあって寒い。どんどん気温が下がっているのがわかる。

暑がりジェイソンの私が4枚着てもまだ寒い。晴れれば活性が上がるのだが。厚い雲を見上げてうらみ節である。うぅ。

それでも私の行くところに皆勤賞の長野の山岸さんが掛ける。45cmはあるだろうか。尺を2本と45cmで、あっという間に3匹である。

持ってる男だ。なにか持ってるに違いない。山岸さん、なにか持ってるの?と聞くと、金の玉をつけたビーズヘッドの黒い毛バリ。それなら私も 大きいのを2つ持っている。

ジンジン、キタキターー。足が冷たくて入っていられない。まったくウンスン。フライマンもウンスン。

昼が待ち遠しい。東京のマッチー町田さんが早い昼にしましょう。その声をオマッチーしていたよ。

大岡の道の駅で蕎麦を食べる。好きなざる蕎麦もこの寒さでは。どこかで「ふるまいだよぉ」という声がする。キノコ汁と餅のふるまいらしい。ただで貰えるなら、何でも貰いたい。

生まれて初めて餅をつく。尻もちは何度もついた。昔といっても50年以上のさらに前だが、実家の菓子屋では賃餅と言って、お客さんの正月の餅をお金をもらってつくことをしていた。12月28日からつき出して31日の昼まで。

29日の餅は9(苦)がつくからダメという時代だった。そうなると30日が大変になる。そこで実家では29日の餅はふくがつくという語呂合わせでお客さんの餅をついていた。

多いときで12俵である。子どもの仕事は餅米の水とぎと、できた餅をのし餅にすること、注文した家まで自転車で配達することだった。

手伝いができるようになった頃は石臼にキネがドスン、ドスンと落ちる機械つきだったが、それ以前は親父たちがキネでついていたようだ。

初めて体験すると実に大変だ。キネと餅がくっついてしまい、キネを持ち上げるときに力がいる。腰を痛めそうだ。20回ぐらいペッタン、ペッタンつくマネをする。親父たちはこれをつき続けていたと思うと、その体力に驚くばかりである。 (軍歌♪)父よあなたは強かった。

つきたての餅を食べて、キノコ汁で温まって午後の部へGO。

小林隊長があっという間に2匹。サイズは30cm程度だがうらやましい。

気を取り直そうが、仕掛けを変えようが、場所を変えようがウンスンである。カスリもしないとはこのことである。何という日だ。あっという間に3時になった。あと1時間しかない。

そこにGの男が登場。昨晩の忘年会でしこたま飲んで、翌朝は地区のマラソン大会のランナーではなく、ヘルプをしてから登場である。

シンゴジラのような体格で竿を出す。あっという間に2匹である。2つとも45cmはあるだろう。どうして釣れるの? 教えて。

そこは私だけでなく、誰もが流した場所だ。 時合なのか、腕なのか、それともボランティアしたからなのか。

4時をまわり暗くなりかかる頃、終了。残念、無念。完全ボウス。

7人で45cmが3本、尺4本。カリメロがウグイを4匹引っ掛け た。以上。

釣れない言い訳の筆頭は天気である。天気の悪口を言っても天気は怒らない。お前が晴れれば釣れたんだよ。 このぉ。

実は前日の土曜が大賑わいだったようだ。さぎり荘前は人が多かったに違いない。この日、どこで釣れたかと言えば、ガンガンの荒瀬と岸との間の、わずか幅2m ほどの狭い範囲だけである。

そうか、ここは餌もフライもルアーも竿を出さない目残しの場所なのだ。だから釣れたのだ。誰でも竿を出す場所では、釣り人の多かった翌日では釣りにならないことは散々経験したのだが、 リセットしてまたやってしまうところが修行が足りない。

天気を言い訳にする前に反省することがあった犀川だったが、来年になると忘れているに違いない。