テンカラマンの無券率

 

今年も残りわずか。あっという間の一年だった。年年歳歳、一日が、一週間が、一月が、一年が早くなる。あとどれくらい生きて、これまでのようにテンカラができるのだろうかと思う年の暮である。

でも、人生はいつもこれからだ。渓流釣りの半分をテンカラにしたい。その夢に向けて来年も頑張ります。

渓流の未来と入漁券で渓流釣り師の遊漁券について、中村智幸さんの調査を紹介したが、中村さんからテンカラマンの無券率が高いという連絡があった。

インターネットアンケート(ウェブリサーチ)で、全国を対象に遊漁者に対して昨年度遊漁券を買ったかどうかを聞いたもの。結果は恐るべきもの(中村さん)

以下は中村さんのまとめ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1. 遊漁者の8割強は「遊漁券を買わなければならないこと」を知っているが、買わない人の割合は渓流釣りが最も高くて約5割。アユでも2割。

2. 渓流釣りでは、ルアー・フライにくらべて、エサ釣りの無券率が高い。おどろくことにテンカラの無券率はエサ釣りとほぼ同じ。テンカラは、エサ釣りの延長で始める人が多いからかも。

3. 年代別では10代、20代の人の無券率はそれ以上の年代の人に比べて低い。釣りを始めた頃は遊漁券を買うけれど、買っても監視員に滅多に会わない、買ってもそれほど釣れないので、馬鹿らしくなって買わなくなるのかもしれない。

4. 全国平均でみると、内水面漁協の収入の4割近くが遊漁料。漁協の約半数が赤字。無券者がこのように多くては漁協は赤字になる。

5. 今回のデータは遊漁者の自己申告であるが信頼性は高いと考える。「絶対に買わない」という人の他に、「たまに買う」という人が10%(10ポイント)くらいいるので、実際の無券率は上記の率より高いと考えられる。実際に、ある川で渓流釣り師の無券率を調べたら、割合は5060%であった。

6. この調査と併せて、「買わない理由」や「買うための工夫」も調べた。その結果をもとに、「買ってもらう工夫」を提言する予定である。日本人の自然観に、「自然の物はただ」というものがある。これがあるので、いろいろ工夫しても、なかなか無券率は下がらないかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

渓流では8割は遊漁券を買わなければならないことを知っていても、約半数が無券者であり、テンカラマンの無券率はエサ釣りとほぼ同じということに驚いた。私の中ではテンカラマンはエサ師とは違うと思っていただけに、エッ!という思いである。

言うまでもなく漁協があって、放流があるから釣りができる。釣りの対象になる魚で野生魚はほとんどいない。釣り人が天然と言っている魚は漁協が放流した魚やその末裔である。それを自然のものと思っているだけで、ただではないのだ。その漁協収入の4割近くが入漁料であるにもかかわらずこれだけ無券が多いと漁協の経営は厳しい。

漁協に言いたいことはたくさんあるが、言い分の前に、釣り人にもこれだけ無券者が多いことを差し引かなければならないだろう。

私は「遊漁料」「入漁料」という言葉は「漁」の対価としての金、漁の保証金という意味に捉えられると思う。ならば漁に見合う釣果がないなら金は払わなくていいのだという理屈になる。買わなければならないことは知っていても、金に見合う釣果がなければ払うのを止めることになる。

私はかねがね川に入る料金という意味で「入川料」にしたらと思っている。ディズニーランドに入るのに入場料が必要なように、渓流というワンダーランドに入るための入場料という意味である。川の清掃や管理は漁協や地元の人がしてくれているその土地に入るための料金という考えである。

もちろん、これは理屈であって言葉をどのように変えようが買わない人は絶対に買わないことはわかっているが。

このHPを見てくださっている方へ。

一年、いろいろなことがありました。良いことも悪いことも。でも、歳の暮れに元気でいたことがもっとも良いことと思うことにしましょう。

皆さんにとりまして来る年が良い年になりますように。

そして楽しくテンカラで遊べますように。