講習会で教える。状況判断編

 

キャスティングがテンカラの半分、あとの40%が状況判断、残り10%が合わせである。これで100%と思っている。毛バリは? 毛バリの重要性は消費税の8%程度である。あわせて108%。来年10%になるかもしれないが。人によってこの割合は違うだろうが大差ないと思う。

この順序で重要であるが、初心者はこの逆で考えてしまう。つまり消費税程度の毛バリを釣れない理由と思ってしまい、キャスティングや状況判断に重きをおかない。毛バリが違えば釣れると思ってしまうのも無理はないが、順序が逆である。

状況判断

キャスティングについで大事なのが状況判断である。状況判断という言葉はサッカーなどでしばしば使われる。今、状況がどうなっているかという判断と、その状況ならどうしたらいいかという行動の選択 である。選択なのでいわゆる「引き出し」がたくさんあるほどいい。引き出しが一つだと選択のしようがない。

初心者には状況判断は難しい。なぜなら今、状況がどうなっているかの判断がつかないからだ。これには、季節、水温、水況、天候、時間帯、先行者、虫の羽化などの複雑な条件がからみ、いろいろな経験が必要だからだ。

さらにその状況にあわせて狙うポイント、流す層、誘い、小さい毛バリ、沈む毛バリの選択、ハリスの太さ、長さなどの引き出しを変えるのだが、これを短時間の講習会で伝えることはできない。言えば言うほどわけがわからなくなるだけである。

どこに毛バリを落とすかということさえ難しい。5人いたとして「あそこ。そら、あの石」と言っても全員が同じ石を想定するとは限らない。あの石の上に落とすと言っても、上を石そのものの上と思う人もいるし、上流1mあるいは10cmと思う人もいる。

出ている石ならわかるが、底石を伝えるのはさらに難しい。思う石は人によってさまざまである。それでもキャスティングして毛バリを落とせば、毛バリを落とすポイントは わかってもらえる。

流れの筋

むずかしいのは流す筋である。どの筋(レーン)を流せばいいかが難しい。なぜなら「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし (鴨長明)」なのだから。ちょっと意味が違うけれど。

食い波、男波、女波と言われる流れがある(らしい)。食い波を流れてくる餌を魚が確実に捕食する流れの筋とすれば、そもそも私自身、恥ずかしながらこれが食い波ですと100%自信を持って言うことができない。 男波、女波ももちろんである。

毛バリが流速よりゆっくり流れる筋があるので、そこを流せば毛バリをくわえやすい。そこが「食い筋」である。食い筋も「ここを流すとゆっくり流れるでしょう」と、毛バリを流すことで示すことはできる。

しかし、初心者にはいざ自分がやろうとしてもその筋がどこかわからない。混乱するだけなので筋のことは詳しく言わないことにしている。アバウトだけれど3秒間、3回流してくださいという「3の3で散々の法則」を伝えている。

散々の法則だけれど経験に基づいている。

3秒は魚は毛バリを見つけて、追いかけ、捕食する時間がほぼ3秒だからである。もちろん毛バリが落ちた瞬間に出るのもいるので、すべてこの限りではないが。

地元、奥三河から美濃、飛騨にかけては昔からイチ、ニ、サンのサンで合わせるテンカラがある。サンのタイミングでくわえることが多いからだ。 向こう合わせである。かって奥三河でテンカラの職漁師をしていた人を訪ねたときイチ、ニ、ニ半、つまりフタツ半で合わせると掛かると言われた。サンのタイミングより少し早くである。

飛騨萩原の名人、天野勝利さんのテンカラは 「おいで、おいで」するように誘うことから、天野さんのテンカラを「おいでおいでテンカラ」と名付けたことがある。後ろからじっくり見たことがある。 イチ、ニ、サンのタイミングである。ほぼ3秒である。多いときで4回4秒、最長で9回ぐらいのことがあった。。

つまり、昔から経験的に3秒以内で毛バリをくわえることを知った上での3秒である。言いかえると、ヨン、ゴ、ロク、ナナと流しても無駄だということでもある。

3回流すのも、食い気がある魚は3回流せばまず出るからである。食い気のあるのはちゃんとポイントに落ちて、流れれば1投目で出る。だから3回流して出ないのは 「出ないか、いない」と判断する。それ以上、何回も流してもムダである。これも絶対ではないことは言うまでもない。

3回と言っても微妙に流れの筋を変えているが初心者にはまずわからない。だから3回流してくださいと言うと3回流したけれど「出ません」と言われることがある。たしかに、 食い筋ではないところを3回流しても3回流したことに変りない。「そこの筋ではなく、ここです」と言って流すと出る! ホラ出たでしょ。筋を説明することは難しい。

魚が教えてくれる

結局、一期一会の講習会で伝えることができるのは基礎の基礎である。あとは魚が教えてくれるので、魚に教えてもらうしかない。魚が先生である。どこに落とせば、どのように出るか、ここは出る、出ない、水温、天候、先行者などのさまざまな条件で魚の反応が違う。

それをひとつひとつ経験し引き出しを増やすしかない。キャスティングは技術なので時間の長短はあるものの誰でもできるが、状況判断は経験を蓄積し、それを整理した引き出しを頭の中に造ることである。しかし、人の頭の中はわからない。引き出しがなく、おもちゃ箱をひっくり返したような頭かもしれない。

テンカラは奥が深い。キャスティングから状況判断まですべて自分である。誰の助けも借りることができない。船長がタナは50mですと教え、電動リールで自動的に50mまで仕掛けを落とし、電動で巻き上げる釣りとは対極にある。

テンカラは自分の腕と判断がすべてである。それだけに毛バリを落とす場所を自分で判断し、そこに正確に毛バリを落として、狙いどおりに魚を釣ったとき「やった!」という満足感、充実感を味わうことができる。この瞬間がテンカラの琴線にふれたときである。

これを味わうとテンカラは止められなくなる。そんな充実感を味わってほしくて、おせっかいではあるが講習会を続けている。