テンカラ王子の今

 

2009年の9月に長野県の安曇野でキャスティング選手権世界大会と講習会を開催した。そのとき講習会の参加者の中に、とびきり上手い子どもがいた。キャスティング、構えの姿勢、知識、受け答えのすべてが子ども離れしていた。私はハンカチ王子にならって、テンカラ王子と名付けた。

お父さんが小さい頃からテンカラを教えていたようだ。そのためテンカラの腕は飛び抜けて上手く、実釣でもつぎつぎヒットしていた。私はあまりに腕がいいので中学生と思ったが、まだ小学5年生だった。

そのテンカラ王子が、今、高校3年生になって、私の前に何年ぶりかで現れた。陸上の400m、400mハードルという厳しい練習で日焼けし、あの頃、ダブダブだったベストも、たくましい胸にぴったりフィットしていた。

東京都町田市であっても、「神奈川県町田」と揶揄されている町田市と豊田市ということで、中間になる長野県の高原の渓流で遊んだ。標高が高く、アブもおらず、そこそこイワナと遊べる渓流である。

数年ぶりに見る王子のテンカラは、さらに磨きがかかり、狙うポイント、流し方など的確で、この間のレベルアップがみてとれた。

「テンカラHit Vision」をすり切れるほど見ているとのことで、目を閉じても言葉だけで、今、あのシーンとわかるという。

出る、出ないの見切りが悪いが、それは初めての渓流ということもある。さらに関東の渓流は人だらけのため、早い見切りでつぎつぎポイントを変えることができない。そのため一か所で粘らざるを得ず、それゆえ見切りに時間がかかるのだろう。見切るか、粘るかの判断は経験がカバーする。

お父さんのキャリアがすごい。もと自衛隊の射撃の教官だった。ともかく視力がいい。現在も視力2.0。とっくに老眼世代であるが、18番のアイに苦もなくハリスを通すことができる。

ライフルの弾道が見えるとのこと。スコープで覗くと、発射された弾丸が熱で空気を切り裂いていくときの、回転する空気の渦が見えるという。予備役の射撃の訓練でも2位の成績で、現役の教官より能力が高いようだ。

そのとびぬけた視力で、偏光グラスなしでも魚が見える。

「今、魚が動いた」「あそこにいます」

「え? どこどこ?」 

標高1600mの渓流もこの日は終日、曇り。高地だけに水は冷たく、晴れれば午後からは期待できるが、汗もかかないかわりに魚の活性も上がらない中、王子とそのパパは、それぞれの釣りを楽しんだ。

その夜は開田高原のプチビラおんたけへ。気温18度の中で、バーベQである。私が肉が好きということで、和牛の霜降りの極上を1.5Kg持ってきてくれた。これにノンアルがあれば、最高の御馳走である。しかし、いくら肉大好きでも半分食べることができなかった。残念。

三浦雄一郎さんは、83歳で800グラムの肉をペロリ食べるそうなので、私もまだまだ修行が足りない。

翌日は早朝特訓で放流アマゴを釣って、本命の冷川へ。御嶽山から直流で、上流に雪渓が残る名前のとおりの冷たい川である。この日はスパッツで入ったので、水の冷たさがひときわである。昨日の渓流より、一段と冷たい。

晴れれば水温が上がり、活性が出るのだが、終始、曇りの汗かかずだったので、魚の活性があがらず、我らの活性も上がらないまま冷川を後にした。

本流テンカラNPを買ったのでぜひ入魂したいということで、帰途、木曽川本流へ。毛バリまで8mのラインを軽々と的確にキャスティングする。あらためて、これが高校3年生なのかと思った。

18歳、つきなみな言葉であるが無限の可能性がある。無限にあるとは思わないが、選択肢はたくさんあり、いくらでもやり直しができる年齢である。

誰しもが今、自分が18歳ならと思う。しかし過去に戻ることはできない。その18歳に王子はいる。

選択肢は無数にあるが、その扉を押すのは自分のチカラで押すしかない。前に立てば開く自動ドアは人生に用意されていないのだから。