あの日から

 

年が明けて以来、バカ飯を食うのを止めたおかげで体重が2Kg減った。心なしか腰の浮き輪も小さくなった。わずか2Kgであるが身体が軽い。身軽になったことを試すために2回、猿投山へ登ってみた。

いずれも登頂成功のためにベースキャンプ(自宅)から山頂をみて、遭難の恐れのない晴天の日を選んだ。2回ともサポート隊のない単独登頂である。いずれも成功した。

バカ汗をかかなくなった。初登頂の下着の汗まみれが、2回目はシャツの腕まくりになり、3回目は腕をまくらなかった。それだけ汗をかかなくなったわけである。このまま月2回のペースでアタックすれば、弾丸登山も夢ではない。

1月17日は阪神淡路大震災から19年の日であった。自分が震災にあったわけではないが、この日を忘れることはないだろう。その日の夕方からボウリングが予定されていたのだ。ボウリングに興じる気分ではないが、どうしても参加しなければならない事情があったからだ。

ボウリング場のスコアモニターの横に、今、燃えている神戸の街がLIVEで中継されている。それを見ながらボールを投げる。ボウリング場も気を利かせているつもりだろうが、今、ここでワァワァ遊んでいていいのだろうかと、遊んでいる自分に対して自責の重い気分の日となった。自分の心が痛んだ日だからこそ、忘れない日なのだ。

あの日から19年である。なんとこの19年の短かったことか。光陰矢の如しというが、まさにあっという間の歳月であった。「少年老い易く、学成り難し」まさに少年はあっという間に老年になり、学なり成り難しどころか、 顎がガクガクと鳴るようになったのである。

仮に20年としよう。人生の1/4を過ごしたことになる。その前の20年と比べれば、この20年は半分の歳月だったように感じる。

ということは、おそらくこれからの20年は更に短くなるだろう。時間という坂はこの先さらに落ち込んでいるので、転がるように加速しながら歳月は流れるに違いない。

物理的な時間は同じなのに感覚的な時間は短い。楽しいことをしていると、あっと言う間に時間がたってしまうが、楽しかったから短く感じたのではないのだろう。

ルーティンワーク、予定調和、刺激のないというか、刺激を畏れる身体と心、そんなものがごっちゃとなって感覚的時間が短くなっているのだろう。今後、20年先に、その20年をどのように感じるのだろうか。長かったと思いたいし、やっぱりさらに短かったと振り返るのかもしれない。

ただし、生きていればの話である。