テンカラ忘年会

 

まだ、残すところ1ヶ月あるがテンカラ忘年会である。

40名が参加した。遠くは長野の佐久、埼玉、大阪からである。座敷だと左右、対面の人だけになってしまうので立食である。

ただ、酒を飲むだけではつまらない。食べる前に飲む。飲む前にミーティング。

まず、BS釣りビジョン「テンカラの足跡を訪ねて」にアーカイブでチラッと写っているテンカラ職漁師、故・山田重男さんの30分のDVDを観る。

「鳥甲山(とりかぶとさん)に生きる」今から35年前のVHSの映像のためすでに劣化している。ビデオが出始めた頃である。秋山郷の渓流に分け入って、よくぞ撮ったというか、撮っておいてくれたと思う。おそらく職漁師の最後の映像ではないだろうか。

35年前の映像のテンポ、音楽は今とは違ってゆったりとしている。時間は今ほどせわしなく流れていなかったからだろう。35年前といえば、私がテンカラを 始めて数年。当時、もし秋山郷でテンカラをしていたら、バカバカだっただろうと思う。

DVDの後は石村さんのアメリカのテンカラのプレゼンである。石村さんはアメリカ在住150年、リンカーン大統領を見た最後の人と言われている。毎年、ヨーロッパで行われるフライフィッシング世界選手権の日本チームのキャプテンをつとめている。現在は大阪在住である。

世界選手権ではフランスチームやチェコチームが強いようで、日本のオリンピック選手のように国の名誉をかけていて、合宿や強化練習も行うようだ。

有名なのがチェコニンフである。沈む毛バリを使ったテンカラにそっくりな釣りである。チェコでは毛バリの胴の腹を太く、突き出したように巻くらしい。これをチェコ妊婦と言う。

アメリカにおいて、2009年から2014年までの間、Googleで「Tenkara」を検索したグラフを示し、アメリカでテンカラ人口が増えていることを紹介したものである。なるほど、これは説得力がある。

2009年からの増加は、キャッツ・キルにあるフライ・フィッシング・ミュージアムで、石村さんが監修したメイド・イン・ジャパンという日本のフライ・フライフィッシング関連の展示の一環として、私が呼ばれ、テンカラのプレゼンとデモをしたことがきっけとのことである。

2014年の急激な増加はパタゴニアがテンカラを商品化し、アメリカ人に影響力のある社長のイヴォンがシンプルフライフィッシングの本を出版したことである。一気に「テンカラって何だ?」と検索したのだろう。

州ごとに検索数をみるとモンタナ州を100としたときに、コロラドが48であることとか、東部のアパラチア山脈のある州でヒット数が多いとか、渓流釣り場がない州でも検索されているなどがわかる。なぜ渓流がないのにテンカラなのかと思うが、池とか湖などの釣りにテンカラ竿を活用しているようだ。

部屋を替えて立食パーティである。乾杯の音頭はテンリュウの塩澤会長、塩爺である。今年84歳。この日も長野から高速を飛ばしての日帰りである。聞けばパトカーを振り切ってきたとか(当然、ウソ)。毎年数回、海外で釣りをしている。加山雄三と塩爺。私がこういうように歳をとりたいと思う人である。

今年もバザーである。循環している品があった。オリンパスのデジカメである。これは昨年、私が出したもので2000円で落札された。それがそのまま手つかずで出ていて、今回も2000円で落札された。もし、次回も出ればこの商品はただ存在するだけでお金を生み出すわけである。無限循環に期待したい。

今回も東京から佐々木さんがたくさんのプレゼントを持って参加してくれた。ひとあし早いサンタクロースである。ジャンケンに弱い私だが、なんとキックスケーターが当たったのだ。当然、 私では重量オーバーなので孫のプレゼントに。

ジャンケンに強い人もいるもので、岐阜県のS水さんは家族のものをしっかりゲットした。あまりの多さに持ち帰れないのでその場で宅配便を呼んでいた(ウソです)。

さて、最後に残ったのが群馬から参加した「本流尺上テンカラ」の小林さんがはるばる持ってたヤマメのはく製である。これをジャンケン大会に出そうという・・それだけは勘弁して。かわって、小林さんが「尺上を釣るまで利根川を案内する券」を出すことになった。

この券をゲットしたのがM州さんである。さっそく連絡先を交換していた。尺上を釣るまで案内してくれるわけであるが、さて何年かかるだろうか。M州さん、私も一緒に連れてって。

バザーの売り上げを私のスタットレスにという魂胆は見抜かれてしまったので、精算後、剰余金と使途をHPに載せます。