3年ぶりの鮎

 

3年ぶりの鮎である。鮎名人の西尾さん、鮎トーナメンターをめざす(つもりか)久保さん、今日が鮎デビューの塚原さんと、利き鮎日本一になったこともある馬瀬川へ。

鮎には25年狂った。テンカラも面白いが鮎もまたしかりである。腕の差が歴然と出るところ、状況判断などテンカラと共通点が多い。そんな鮎釣りも10年ほど前から遠ざかり、3年前まではお盆休 みの年1回の楽しみとなっていた。

毎年、誘ってくれたのはM君である。愛工大のフィッシング部主将で、大学を首席で卒業した優秀な男である。4年生の時にテンカラを憶え、こちらが心配するほど狂ってしまった。早起きしてテンカラをやり、大学に戻って卒業研究の毎日ながら、優秀な論文を書いて首席で卒業した。

以来、30年のつきあいである。M君夫婦の仲人をし、家族ぐるみで付き合っていた。中部では有名な土木建設会社の重役となり55歳を迎えた。その日も年1回の鮎の日で、いつものように自宅まで迎えに来てくれた。車中は仕事と家族の話である。今日、次男から採用の内定があるはず、多分、大丈夫と思うが・・・。

お盆休みで大勢が板取川に竿を出していた。この日は朝から晴天で、ジリジリと夏の日差しが肌を焼いてくる。顔から首すじにかけて痛いように暑い。お昼に次男から内定したという連絡が入る。よかったね。これで子どもは片付くので、これからは夫婦で楽しみたいとM君は満面の笑みである。

鮎はというとボチボチの日で、陽も傾き、かすかに秋を感じる陽差しが釣り人の長い影を水面に映すようになった4時を過ぎると、竿をたたむ人も増えた。今晩、鮎で一杯やるにはちょうどいい時間だ。

今日は5時までと決めていた。そろそろ竿をたたむ時間になった頃からM君にパタパタとアタリが来た。こっちはとっくに集中力が切れているが、彼の粘りは筋金入りで、だからこそ首席で卒業し有名会社の重役にもなれたのだろう。

「M君、時合いかもね・・6時までにしようか」と声を掛ける。その後、いくつか取り込んで6時に納竿である。帰りの車中では鮎のことより次男の内定を喜んでいる。我が家に戻って「ありがとう。じゃぁね」と別れる。

翌朝10時ごろ、奥さんから、主人がゴルフ中に脳内出血でほぼ即死だったと連絡が入る。お盆休みのゴルフで4ホールをまわった後に倒れたようだ。55歳、子どもも就職のメドがたち、順風満帆のこれからを前に突然の死 。諸行無常、会者定離、人の命のなんとはかないことか。

これは彼の運命だったかもしれないが、あのとき「6時までにしよう」と言わなければ、あるいは・・。しばらく自分のこの言葉が心に残り、後を引きずっていた。鮎となるといつもM君のことが頭に浮かび、竿を出す気にならなかった。

この日、声をかけてくれた西尾さんは鮎名人である。山高の麦わら帽にタモをかけるスタイルは今では珍しくなった。胴締めという独特の方法の使い手である。胴締めの鮎の安定性はいい。左右へのブレがなく、鮎の浮きが少ない。胴締めした鮎を泳がせてみた。鮎の動きから掛るぞ、掛るぞ・・とわかる。そら来た・・。

鮎は鮎で面白い。奥が深い。単に技術だけでなく、川読みという石を見る目がものを言う釣りである。そして集中力。集中力が切れると鮎の泳ぎも悪くなり、テキメンに釣れなくなる。

鮎釣りは自分の集中力が試される釣りである。しかし、もう一度、昔にもどって鮎に狂うことはない。私の鮎釣りは秋も深まった落ち鮎の季節となっている。