2012テンカラサミット in ユタ 

(1)サミットの参加者たち

ユタ州ソルトレイク市で開催されたテンカラサミットに参加したので思いつくままレポートする。

まずサミットの参加者たちである。サミットはユタ大学が経営するホテルのカンファレンスルームで行われた。部屋では講演、毛バリ巻き、テンカラグッズ販売、チャリティオークションが、そして屋外でキャスティングクリニックがあり、翌日は実釣デモと実釣というスケジュールである。

ダニエルからは申し込みが250名ほどと聞いていたので盛況を予想したが、いざ始まってみるとわずか70名である。250席用意した会場は閑散としている。250名申し込みがあったのだが、キャンセルが多数出たようだ。つまり申し込み時点で参加費をとらなかったので、連絡なしのキャンセルが続出したらしい。

日本では考えられないことである。以前、浜松で2009テンカラサミットを開催したが、そのときの申し込みは168名。キャンセルは多少あったが、その分、飛び込みもありほぼ予定どおり。参加費をとらなくても律儀に参加してくれた。日本人は約束を守る国民性と思う。

あまりにも多い。これだけのキャンセルが出たのは、勘ぐればニセ大量申し込みという可能性もないわけではない。というのはダニエルはテンカラのWeb通販でビジネスしているし、アメリカには同様にテンカラでビジネスをしている人たちがいる。さらに主催者でもあるTENKARA GUIDES (テンカラガイズ)のジョーン、ロブ、エリックの3人はサイドビジネスとしてテンカラのガイドをしているからだ。テンカラカイドをビジネスにする人もアメリカには結構いるらしい。

日本ではダニエルやテンカラガイズのようにテンカラでビジネスをする人はいないので、ライバル関係はないが、アメリカでは日本とは事情が違うようだ。申し込みだけして行かないのは、よくある寿司100人前注文ということもあるのだ。ダニエルは深く反省して次回からは参加費を事前にとると言っていた。それがいいと思うよ。

ユタ州の隣のネバタ州やコロラド州でテンカラガイドをしている人たちが、ビジネスのための情報収集やPRをしていた。ともかくアメリカは広い。サンフランシスコから来たT・J(ティー・ジェイ)は10時間のドライブで来たそうだ。10時間といっても時速120キロで走るので1200キロ。直線なら名古屋から札幌より遠い。

カナダのバンクーバーから車で来たスコットは16時間かかったという。スコットは奥さんが日本人で17年前には日本に2年半いたそうで、難しい日本語は忘れたといっていたが十分わかる。なにせ私が英語がさっぱりなので、カタコトの日本語でも意志の疎通ができる。

それはさておき、大勢の人たちと挨拶を交わしてもボケた頭ではとても覚えきれない。向こうではマーク、ジョンとファーストネームで名乗るので憶えるきっかけになるキーワードがないのだ。向こうにしても ishigakiは呼びにくいらしい。

だからイッシーと呼んでくれというのだが、ネッシーか鹿児島の池田湖のイッシーと思われたのか、誰もイッシーと呼んでくれない。しかたないから、石の石はストーンで、垣はウォ−ル、壁である。石の壁と説明すると納得してフムフムしてくれる。

今回は播磨テンカラ会から石原さん、山川さん、田中さんの3名が参加した。石原さんはノータリンクラブにも入っている。ノータリンと聞いてわからなくてもあなたの脳が足りないからではないので安心してください。ロータリークラブ? あのお金もちの?ということもない。テンカラ第1世代の山本素石さんたちがつくったクラブである。今や超高齢化していて平均年齢75歳。団塊世代の石原さんがもっとも若く、新規会員はゼロとのこと。

日本でもテンカラをしている人であっても山本素石? Who?という人が多いだろう。テンカラマンなら素石さんの書籍をぜひ読んでほしい。ネットや160字のつぶやきのような泡のように消えてなくなるものとは違い、何度でも読み返したくなるテンカラの名著である。

石原さんの講演は素石さんの紹介と、ノータリンクラブの活動の中のツチノコの話である。生まれて初めての講演を海外でしかも英語でするとあって非常に緊張していた。講演の当初は、口が渇いてペタペタしていたが、やがて口もまわり出し、ツチノコ話になると場内から笑いが出て、石原さんの講演には大拍手である。Tsuchinokoは参加者の記憶に残ったことだろう。

 

つづく