老いては若い人に従え

 

私はテンカラ歴37年になる。15歳からテンカラを始めたのでそれなりの歳になるが(あれ?)最近、正直なところ体力の衰えを感じるようになった。年代の近い人どうしでは同じペースなので感じることはなく、むしろある方ではないかと思うのだが、若い人と一緒だと歴然である。

人には年齢を感じさせるさまざまな指標がある。体力、気力、知力・・。このうち、気力、知力では衰えはまったく感じない。テンカラに関してはむしろ気力は充実している 。まだまだやりたいことも多いし、好奇心にあふれている。知力は積み重ねた経験知からこれも高くなっているように思う。いやいや、そう思うこと自体、それはすでに気力ではなく奇力、知力ではなく痴力の域に入ったと言われそうであるが。

体力だけは正直、自覚せざるを得ない。何が一番、落ちているかと言えばバランスである。石の上でグラグラして危ないことこの上ない。さらに石を跳ぶことができなくなった。よほど安全の確信がないと跳ばない。 跳んだ先でバランスを崩したり、跳んだ先の石が浮き石ならば危険だからだ。

足が開かない。だから届きそうな至近距離の石を探すが、それが至近距離であっても踏む石が浮き石でないか、まずつま先でチョンチョンと確認してから一歩を踏み出す慎重さである。

高いところでグラつくと危ないし、石も跳ばない。だからもっとも安全な方法である水に入って、底石の中でも低いところを探して歩くことになる。若い人からみたらなんと情けない、と思われているに違いない。

俺たちに明日はない年齢になり、この先もテンカラを楽しもうと思えば本能的に慎重になる。同年代なら同感の人も多いであろう。

もちろん私にも若い頃があった。尾上郷アマゴ谷の魚止めの滝からの夕まずめ、大シウドの合流点まで二人でかけ足で降りてきたことがある。 そのときは面白いように出るアマゴを相手に夢中になった。いくらでも出るが、真っ暗になったらまずい。二人で相談し、下りを考え、夕まずめぎりぎりまでできる時間を決めた。

大丈夫帰れる。それっと石を跳びながら10分余りで跳ぶようにして帰った。周囲はすでに薄暗く、石も定かではない。その上、バカ長である。今、思えばよく出来たものであるが、その時は別に危ないとも思わなかった。40代半ばである。

過日、若い人と一緒だった。私の子供と同年代である。岩が登れない。まず足が上がらないことと、石をつかんだその腕で身体を引き上げることができないのだ。懸垂は1回しかできないのが今の実力である。昔のこと・・を言っても仕方ない。

私がヨイショと声を出してよじのぼったその後を若い彼が、軽く助走してピョンと跳び乗ったのだ。あれを見て愕然とした。体力が落ちたのを自覚したというか、自覚させられたのだった。

体力の中でもスタミナが落ちたと最初に感じたのは、標高1500mの中央アルプスのダラダラ昇りの林道を歩いているときであった。若い人たちから次第に遅れてしまう。杖があればと思って適当な棒を探して歩いた。どうみても水戸黄門である。 周囲には助さん、格さんがいるし、さすがにかげろうのお銀(由美かおる)はいなかったけど。

すかさず皆から水戸のご老体と呼ばれた。そうなんだよ、水戸の黄門様だけに私は胃と肛門が悪いんだよ・・。

肛門と言えば18歳で大地主になった。18歳で地主、それも大地主になった人は少ないだろう。当時の手術なので1週間入院である。18歳であんな恥ずかしい思いをすると、人生、恥ずかしいものはなくなってしまう と思うよ。石垣伊保次か、痔郎に改名しよう思った。

若い人と一緒だとペースが違うので、迷惑をかけているのではないかと気を使うだけの配慮はまだ残っている。これを感じないようであれば老害である。一緒に遊んでもらうには若い人に従うのが一番である。

しかし、テンカラで渓流を歩かない限り自分が歳をとったという自覚がまったくない。私が目標とする、彼のように生きたいと思っている加山雄三が68歳になった 当時、歳についてインタビューの中で、自分が歳をとったとは感じない、と話していた。

皇潤を飲んでいるからだろうか。加山雄三には皇潤のCMに出てほしくなかった。彼の気力、活力が皇潤によるものとはとても思えないからだ。実際には飲んでいないと思う。皇潤が効くかどう かわからないが、飲んだものが体力をつけるとは私にはとても思えない。

日頃の健康的な食事で十分でなかろうか。不足していると思わされていて、それを外から補充すれば体力がついたり必要な部分に効くことは有り得ないように思う。

人生順送り。盛者必滅会者定離。諸行は無常である。体力の低下は努力、気力、知力・・で補うこととして、シーズンもそろそろ終了だけれど、オフシーズンはどこで遊ぼうかと気力が充実する初秋の夕まずめである。 よくそんなにテンカラばかりして疲れない?と聞かれることがある。大丈夫、仕事で休んでいるから。